20年前、神戸の友達の結婚披露宴で、声楽専門の女性が「アヴェマリア」を歌った。
まさしくプロ。澄みきった、素晴らしい歌声に聞きほれながら、私は少し冷や汗をかいていた。
実は、彼女の前に、私が南部牛追い歌を歌ってしまっていた。
事前に友達から電話がきて、是非歌って欲しいと頼まれ、軽い気持ちで引き受けたのが間違いのもと。
プロが歌うと知っていたら、絶対引き受けなかったのにと、後悔しても、もう後のまつり。
しかも、この「南部牛追い歌」、岩手県人の前で歌ったら怒られるかも。
民謡を習ったこともなく、大学の合唱団にいたときに、合唱用に少しアレンジした、「南部牛追い歌もどき」。就職してからは、宴会で、よく南部牛追い歌もどきを歌っていた。
<「もどき」でも、友達は好きになってくれたんだな。リクエストしてくれたということは。>
そう前向きに考えて、冷や汗をおさめたのだった。
今は昔…。
歌というのは、聴いてくれる人が心地よかったり、感動できればそれで十分なのではないでしょうか。
プロとか肩書きは関係ないですよ。
リクエストされたという事は、良かったからです。
でも、心をこめて歌うことは難しいですね。
今、モーツァルト歌曲集「すみれ」を練習していますが、すみれの気持ち(?)が上手く歌えません。トホホ・・・。
歌を歌うというと最近はカラオケしか歌ったことしかない。
「歌というのは、聴いてくれる人が心地よかったり、感動できればそれで十分なのではないでしょうか。
プロとか肩書きは関係ないですよ。」
という、その言葉を俺は直ぐに信じてしまう。
そうだ、お酒を飲んでも、傍にいる人が俺の歌を聞いて楽しんでくれたら、それだけで充分じゃないか。
と言いつつ、調子に乗ってつい5~6曲も歌ってしまうのである。
だけれど「南部牛追い歌」なんてとても歌えない。
歌えるのは庶民の歌、それも昔の歌謡曲だ。
坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」
ブルーコメッツの「ブルーシャトー」
加山雄三の「お嫁においで」から始まって
長渕剛の「とんぼ」
西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」
井上洋水の「傘が無い」
男組の「タイムゾーン」
因幡あきらの「判ってください」
サザンの「愛の言霊」 等等。
本当に古臭い歌ばかりだ。
だけれども、いずれも俺にとってはその時々の懐かしい歌だ。
こんな俺の歌を聴いて、心地よくなってくれる人がいるのだから、嬉しいものだ。
酒の席での歌であり、決して高尚ではないがこれも歌の一つだろうと思っている。
うん、歌はいいものだな~。ガハハ。
「南部牛追い歌」については、以前、下記のようなエッセイを書いたことがあります。
(アンダーバーで、「続きを読む」に編集してください)
「南部牛追歌」を歌う
田舎なれども サーハーエー
南部の国は サー
西も東も サーハーエー
黄金の山 コラ サンサエー
年に数回は、石川啄木と宮沢賢治ゆかりの地を巡る文学散歩の案内をしている。
特に盛岡は、啄木と賢治が青春時代を過ごしたマチで、市内の至るところに二人の足跡が残されており、案内のコースは時間と目的に合わせて幾通りでも組むことができる。
その中で、寺町(正式には名須川町)を組み入れたコースは、盛岡の歴史や景観などを含めて案内するポイントが多く、説明に一段と熱の入るお得意のものになっている。
江戸時代、盛岡藩の五街道の一つであった小本街道は、鍛冶町を起点として寺町を通り三陸沿岸の海まで達していた。内陸からは米などの農産物を、沿岸からは魚や塩などを牛の背中に乗せて運ぶ道であり、「牛追いの道」とも「塩の道」とも呼ばれていた。
昭和六十二年、当時の建設省が制定した「日本の道一〇〇選」に、この寺町通りが選ばれた。その記念碑が建っている歩道で、この道の由来を話し、「南部牛追歌」を歌うのを常としている。
後日の手紙などには、啄木・賢治ゆかりの説明に対する好評も記されているが、「牛追いの道」で聞いた「南部牛追歌」が印象的だったという感想をいただくことが多い。
今では、私のレパートリーとなっているが、そのキッカケは、「姫神」の星吉昭さんにちなんでのこと。星さんは、二〇〇四年一〇月に惜しくも亡くなってしまったが、その音楽は今でも多くの人々の心に残っている。自ら「北人霊歌」と称したシンセサイザーと地声の合唱による楽曲によって、東北、特に岩手に根ざしながら、世界に通じる一大音楽世界を創り上げた。
その星さんが、岩手で音楽を紡ぐことになったキッカケが、民謡の名人・畠山孝一氏の歌う「南部牛追歌」との運命的な出逢いだったという。この歌にふるさとの懐かしさを覚えながら、何とか現代的なシンセサイザーで表現しようとしたことが、「姫神」音楽のルーツだったのだ。
私は病気などで落ち込んできた時に、「姫神」の音楽に出会い、前向きに生きていこうという意欲が湧き上がった頃から「姫神」ファンになった。大好きな星さんにとっての運命の曲は、身近な故郷の民謡でもあった。
「牛追いの道」で歌う前には、「姫神」のエピソードも紹介し、啄木・賢治への想いとともに、星さんへの想いを馳せながら、「南部牛追歌」を声高らかに歌っている。
懐かしい岩手の民謡で盛り上がっていますね。
南部牛追歌はおばあさんから小学校のときに教わっていますよ。
とってもいい気分に成りますよね。
ご参考のページです。
正調での歌はこれで聞けます。
南部牛追い歌、ほんとうに深い!
今まで、全く何にも知らなかった。
みんながそれぞれの想いを抱く、故郷の歌なんだね。
労働が生み出した歌なのに、苦しさは微塵もなく、
おおらかで、のどか、広大で晴れ晴れした気分になってくる。
南部の人達はせかせかしていなかったんだね。
本当に、スケールが大きい!
moriyo君が書き込みをしてくれた、
【昭和六十二年、当時の建設省が制定した「日本の道一〇〇選」に、
この寺町寺(正式には名須川町)通りが選ばれた。
その記念碑が建っている歩道で、この道の由来を話し、「南部牛追歌」を歌うのを常としている。】
を読んで大変嬉しく思った。
俺の実家が名須川町。
実家の前の通りを150mも歩くと、其処は寺町通りだ。
子供の頃は、何にも知らずに、由緒あるお寺で、鬼ごっこをしたり、
今思えば貴重な木々に登って悪戯をしたり、
木の実を無理やり落として口にしたりやりたい放題であった。
そんな名須川町が、「南部牛追歌」とゆかりがあり、
また、そこでmoriyo君が「南部牛追歌」を歌うのを常としている とは、全く知らなかった。
つれづれ日記を通して、新たに知った次第である。
「つれづれ日記 有難きかな。」
mannboさん、同感です。
moriyoさんのコメントを読んで、昔から不思議に思っていたことが分かりました。
内陸に魚と塩をもたらしてくれた「塩の道」があったことを。
日本では、塩は海水から採れる。塩は生命に不可欠なもの。この道は「命の道」といっても良かったのではないでしょうか。
そして、この重い塩や魚を、牛が運んでくれたんですね。
車の無い時代には、牛や馬が人間の為に、この重荷を背負ってくれていた…。
家族の一員として、かわいがっていたのが、よくわかります。
ところで、「姫神」について、何かで読んで名前だけは知っていましたが、
音楽は未だ聞いたことがないので、これを機会に、是非、聞いてみようと思います。