つれづれ日記の前の投稿(oirio氏)に関連しますが、長くなりますので、新規にエントリーさせていただきます。
我々がいただいた状差しは、90周年の記念品ではなく、昭和47年3月卒業者への卒業記念品です。右上に、「‘72」とあることご確認下さい。
1997年に盛岡グランドホテルで行なわれた卒業25周年の同窓会にて、私がこの状差しを手にしながら、マイクで説明した要旨を、ここに記させていただきます。
状差しは、美術の福田隆先生のデザインによるもので、我々の先輩である啄木と賢治の作品からの言葉が書かれています。
「年若き旅人よ」とは、啄木が盛岡中学の後輩から寄稿を求められて、明治40年9月20日発行の「盛岡中学校校友会雑誌第10号」に載せたエッセイ「一握の砂」の冒頭の言葉です。
「年若き旅人よ、何故にさはうつむきて辿り給ふや、目をあげ給へ、常に高きを見給へ。かの蒼空にまして大いなるもの、何処にあるべしや。…」と続き、単に後輩達への檄文ということだけではなく、ある意味での教育論という位置づけもされているエッセイ(評論)です。
啄木のキーワードとなる「一握の砂」については、「談話室」に書き込みました「遊座昭吾先生の講演」をご参考下さい。
また、「銀河系空間」とは、賢治の「生徒諸君に寄せる」という詩の中にある言葉です。
やはり賢治も盛岡中学の後輩から昭和2年の「盛岡中学校校友会雑誌」に寄稿を求められ、この作品を書き始めましたが、完成には至らず、別の作品(「奏鳴四一九」と「銀河鉄道の一月」)を掲載しました。
「生徒諸君に寄せる」は、当初、盛岡中学の生徒達を念頭に置いて書かれました。
「諸君はこの颯爽たる/諸君の未来圏から吹いて来る/透明な風を感じないのか…」
そして、この作品は後に書き直され、「この四ケ年がわたくしにどんなに楽しかったか」という言葉が添えられて、花巻農学校の生徒に寄せた文になりました。
いずれも生前は未発表でした。
全集には後の作品が「主」として載っていますが、元々は盛岡中学校の生徒諸君に寄せるはずだった文(詩)でした。
なお、この「生徒諸君に寄せる」の賢治碑は、10年前、白堊記念会館の前に建てられました。
最後に、私が盛岡一高図書委員会からの依頼で、「盛岡中学校時代の石川啄木」を執筆した際の白堊祭(1996年)では、福田隆先生の「卒業記念品展」も催されており、様々な作品の中の一つに、我々のいただいた「状差し」も展示されていました。
moriyo でした。
「諸君はこの颯爽たる/諸君の未来圏から吹いて来る/透明な風を感じないのか…」
が書かれている紺地の壁掛け(タペストリー?)が、創立90周年の記念品ですね。
moriyo君,yokoさん、ありがとうございました。状差しは卒業記念、濃紺の壁掛けは90周年記念ということですね。そうか。記憶がいい加減というのは、それだけの年月が経ってしまったと思うことにします。