年次別掲示板投稿状況

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在京疾風会掲示板への最新投稿


 東京に一時帰京中
  投稿日 New!4月23日(火)15時52分 投稿者 豊間根則道
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20日に東京の家に戻りました。昨日、病院で検査の予約が入っていたためです。検査は何事もなく終わり、さらに6ヶ月後に再度検査をする予約を入れ(させられ)てきました。肺に小さな影がうっすらと見える、細胞が異形化しているというのです。それが大きくなったり影が濃くなったりしないか、さらに時間を置いて検査するのだそうです。

泰久さんはお墓の石を新しくするけれども、紫波に置いたままにするのですね。なるほど。私も墓じまいをしようとしてお墓を建てた石屋に連絡をとってみたら、もう25年も経っているのでその石屋は商売を畳んでしまっていました。代わりに別の石屋を紹介されたので、早速4月30日にお墓を一緒にみてもらうことにして東京に戻ってきました。その時に見積もりも出すと言っていましたが、いくらになるのか・・・。

志岐さんの予想通り、在京白亜会は今年は盛況になることでしょう。私はその時は盛岡にいて出られませんが。

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 在京白亜総会
  投稿日 New!4月23日(火)14時30分 投稿者 志岐
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今年は参加者が多そうだね。疾風会からの大勢の参加者も期待できますね。

http://rabotati.jp

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 私も今年は2回盛岡に帰りそうです
  投稿日 New!4月18日(木)16時17分 投稿者 佐藤(泰)
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紫波町に古いお墓があるのですが、法名を和式のお墓の側面に刻んでおり、もう刻むスペースが
無くなっていますので、新しいお墓を建立することにしました。新墓石と法名碑(板状で前を向い
ている)を建てるわけですね。何社か「石っこ屋」さんを当たったら、¥60万〜¥100万、適当なとこ
ろで手を打ちました。

行事として、現墓石からの「魂抜き」、新墓石への「魂入れ」、この2回は和尚さんに拝んでもらい、
私も立ち会うことになりました。だもので2回、盛岡に帰省ですね。だいたい7月に建立完とのこと
です。トンボ帰りになると思いますが、「盛岡冷麺」だけは食べたいですね。

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 ついご無沙汰
  投稿日 New!4月16日(火)15時41分 投稿者 豊間根則道
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前回書いてからもう1週間も経つんですね。家の片付けに大車輪で(?)取り掛かっているもので、ついここに来ることを忘れました。盛岡も桜は満開。駅まで歩いて以来、特に街中を出歩くことはしていませんので様子は分かりませんが、城跡も高松の池も満開の桜がゆったりと空中に広がっていることでしょう。下米内の家のすぐそばにも数本の桜があって、私はその姿を見ているだけでも十分です。桜って本当にいいなぁと思います。

昨日はいい天気で盛岡も28度ぐらいまで上がったはずですが、今日は朝から曇り。今、宅急便の人が集荷に来るのを待っているところ。ぽつぽつと片付けを続けています。段ボール箱の中から懐かしいものがたくさん出てきて、それを見ているとつい時間が経つのを忘れる。片付けは面倒と言えば面倒な仕事ですが、考えようによっては幸せな時間かもしれない。

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  下米内 !
  投稿日 4月9日(火)14時18分 投稿者 佐藤 泰久
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つい「マピオン」の地図で確認しました。山岸、浅岸の北東なんですね。今は同期生も黒石野や松園、
みたけ、青山町、などみな「山の手」に住んでるし。私は盛岡では旧城下ばかりでしたから。河北
2箇所、河南8箇所、詳しく書くと、大通り一丁目、菜園、亀楽町、六日町、十三日町、肴町、南大通り、
馬町、内加賀野、南大通り、です。ちなみに東京3箇所、川崎5箇所、横浜6箇所、宇都宮3箇所、です。
放浪の人生?

盛岡では下町(ダウンタウン)ですね、なつかしい。確かに歩いて行くと、クルマや自転車で見えない
物が見えてきますよね。本当に散歩が趣味の人は、家の玄関上に付いている「水道局」の番号なんかで
楽しむらしいですよ。

だもので友達は、米屋の息子、建具屋の息子、タイヤ屋の息子、床屋の息子、八百屋の息子、、、、
サララーマンの息子は少なくて、中学の社会科の先生が「〇〇君のお父さんはカイシャイン?」なんて
聞くものだから、私は「カイシャイン」て何だ?と思いましたね。六日町に「県信連」という建物があった
ので、ああいう所にる人たちかななどと思ったものでした。

いろいろ巡り歩いてください。

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 石割り桜が咲き始めた
  投稿日 4月8日(月)23時59分 投稿者 豊間根則道
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今日、石割り桜が咲き始めたとニュースが知らせていました。今朝は0度近くまで下がって寒かったけど、桜には関係なかったようです。

それにしても、昔は盛岡の桜は4月末から5月初めの連休のころに見ごろを迎えたものです。小学校1年生の国語の教科書だったかに、入学式を迎えた子どもと母親が学校の正門の前に立っている絵が見開きであり、そこに満開の桜が描かれていたのが私には不思議でした。盛岡では入学式の頃にはまだ桜は咲いていませんから。下手をすると田んぼにはまだ雪が残っていて、道は溶けた雪や氷でぐちゃぐちゃになっているという季節でしたからね。

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 盛岡変貌
  投稿日 4月6日(土)23時31分 投稿者 豊間根則道
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今日、盛岡駅まで行く用があったので、いい機会と思い、下米内の家から歩いてでかけました。およそ4キロの道です。たまに車に乗って通るのでは気がつかないいろいろな変化を目の当たりにし、自分でも改めて盛岡の街の変貌ぶりに感慨を覚えました。

行きに気がついたのは、日影門にあった和菓子店「翁」がなくなっていたことです。きっと随分前になくなっていたのでしょうが、私は日影門の通りを滅多に通ることがないので、知らずにいました。そうか、「翁」もなくなるのか・・・とちょっとショックでしたね。そういう「大事な」ものがなくなり、後は決まってマンションか駐車場になる。私も盛岡を離れた人間の一人ですから大きな顔はできませんが、悲しい気持ちがします。

日影門を真っ直ぐに行くと中央通りを渡って「映画館通り」に続きます。名前は今でも「映画館通り」のままですが、今ある映画館はたったの二つ(ピカデリーと中劇)。かつては大映、松竹、中劇、日活、東映と五つも並んでいたがゆえの「映画館通り」なのに、もうその面影はありません。

盛岡駅からの帰りは、去年この掲示板を賑わした旭橋を渡って材木町に行きました。光原社でコーヒーを飲んで帰ろうと思ったのです。ところが、材木町は今年初めての「よ市」の開かれる日で人通りが多く、光原社の喫茶店も混んでいて入れず、代わりにインド製のハンカチ2枚を買っただけで出てきました。そのまま帰ろうかと思ったら、「よ市」の余興の一つにさんさ踊りの一行およそ20人ほどが出番を待っているのに出会い、こんな季節外れに浴衣姿でさんさ踊りかと思いつつ、そこにとどまって踊りの始まるのを待つことにしました。風も強くて踊り手も寒そうでしたが、特に太鼓を叩く人は浴衣の袖をたくしあげているのでほとんど袖なしの姿格好です。

10分ほど待っていたらさんさ踊りのパレードが始まりました。先に立つ一人が踊りを始め、それを合図に残りの人が一斉に太鼓、踊り、笛、鉦、歌を始めます。たった20人ほどの組で、ほとんどが二十歳前後の若い女性、太鼓の男性が一人、そして先頭には小学生とおぼしい少女が二人、踊り手を務めます。一行が材木町の道に揃って踊り始めた瞬間、見ていた私に思わず涙が込み上げてきました。

さんさ踊りの一行を旭橋から夕顔瀬橋まで追いかけ、そこで別れて帰ることにしました。まず夕顔瀬橋の真ん中まで行って、北上川の流れをしげしげと眺めました。雪解け水で水かさが増しています。流れも速いかもしれない。岩手山は雪をかぶってどっしりとそこにあります。

そこから梨木町を通り、一高の前を通り、上田、北山、そして関口を通って下小路に出、家に帰りました。梨木町も道幅が驚くほど広くなり、昔の面影は全くありません。こんなになったとは知りませんでした。一高の近辺もすっかり変わり、一高正門への曲がり角もすぐには分からないほどでした。天文ドームが見えたのでかろうじてこの建物が一高かと分かった次第です。

今日は行きに50分、帰りに1時間半ほどかかりました。その間、一番印象に残ったことは道を歩いている人の少なさです。大通りの繁華街でさえもそうです。日本の人口自体が減っているのですからそうなるしかないかもしれない。でも、これは寂しすぎる。

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 台湾の地震は確かに他人ごとではない
  投稿日 4月5日(金)09時58分 投稿者 志岐
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花蓮市は戦前から日本との交流も深く、盛岡市の友好都市でもある。
能登地震の時は真っ先に義援金を送ってくれのも他人ごとではないとの思いからでしょう。
震度6強の地震が来れば、我々の住んでいるところだって決して安全な訳ではない。
どうすれば、早い復興ができるのか皆で考えて行くことは大事ですね。

http://rabotati.jp

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 台湾の地震にもビックリ
  投稿日 4月4日(木)16時24分 投稿者 佐藤(泰)
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実は10数年前、台湾を3泊4日で、台北を出発点に反時計まわりにグルっと一周して
台中→台南→高雄などをめぐったのですが、最終日は中部・東海岸の花蓮でした。
花蓮は今回の地震でも甚大な被害のようですが、5年くらい前にも大地震があり、なんと
私と私の友人が泊まった花蓮のホテルが倒壊したとの事でした。冷汗ものでした。

また花蓮かと思いました。能登地震の時は真っ先に義援金を送ってくれた台湾ですから、
少しは義援金を出そうとは思うのですが、いざとなるとどうすれば良いのか良いルートが
あるのでしょうかね。

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 地震にびっくり
  投稿日 4月2日(火)22時24分 投稿者 豊間根則道
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今朝の地震にはびっくりしました。トイレに起きたあと眠れなくていたところだったので、眠りを覚まされたのではありませんが、布団の中でちょっと身構えました。ただ、強いP波のあと、激しいS波が来るかと思ったらそうならず、P波のまま終わった感じがしました。震源地は近かったのですが、震源が70キロ余りと深かったのが理由かもしれません。盛岡の震度は4でした。物が落ちて壊れるわけでもなく、何事もなく終わってよかった。

独身生活(=自炊)をしながら家の片付けと毎日の日課の早歩きをするのはなかなか「忙しい」。今日初めて片付けに手を着けましたが、もうその膨大な量に圧倒されるばかりです。でも、一歩一歩ですね。外を出歩く「時間の余裕」は、今のところあまりありません。

盛岡の朝晩はやはりまだ寒い。でも、ストーブを焚くほどではないと、暖房を入れずに頑張っています。山の方では雪解けが進んでいるようで、中津川は雪解け水で水嵩が増し、滔々と流れる水が河原にまで溢れていっています。河原に生えためめんこの木が水の流れに洗われ、あの灰色の綿毛の中の黄色い花が揺れていました。春です。

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