在京白堊会関連サイトへの「掲示板投稿のお知らせ」ポータルです。
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題名 | 投稿者 氏名 | 日付 |
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■ 投稿・『絵手紙・長月』(きぬ子さん) アップ | 管理人 | New!2024年09月13日 (金) 14時17分 res:1件 |
■ 投稿・『絵手紙・葉月』(藤原きぬ子) アップ | 管理人 | New!2024年09月12日 (木) 23時20分 res:2件 |
■ 今日の岩手山感謝 | 佐藤勇夫 | 2024年09月01日 (日) 17時14分 |
■ 岩手山、開運橋花壇の写真感謝です | 佐藤勇夫 | 2024年07月27日 (土) 13時04分 |
■ 文月の絵手紙感謝です | 佐藤勇夫 | 2024年07月15日 (月) 14時40分 res:1件 |
■ 投稿・『絵手紙・文月』(きぬ子) アップロード | 管理人 | 2024年07月15日 (月) 14時24分 res:1件 |
■ アルバム『今日の岩手山(5/14)』(向井田久子) アップ | 管理人 | 2024年05月27日 (月) 12時47分 res:1件 |
■ 投稿『絵手紙・皐月』(藤原きぬ子) アップロード | 管理人 | 2024年05月27日 (月) 12時33分 res:2件 |
■ フォトアルバム『ひたち海浜公園・4月28日』(村野井) アップ | 管理人 | 2024年05月14日 (火) 18時44分 |
■ アルバム『今日の岩手山(4/22)』(向井田久子) アップロード | 管理人 | 2024年04月25日 (木) 18時15分 |
保護中: 在京白堊39会写真6/30はとバスツアー写真3 | 2015年7月2日 |
保護中: 在京白堊39会写真6/29懇親会3 | 2015年7月2日 |
在京白堊39会写真6/29懇親会集合写真 | 2015年7月1日 |
保護中: 在京白堊39会写真6/30はとバスツアー2 | 2015年7月2日 |
在京白堊39会写真6/30はとバスツアー集合写真 | 2015年7月1日 |
保護中: 在京白堊39会写真6/30はとバスツアー1 | 2015年7月2日 |
保護中: 在京白堊39会写真6/29二次会 | 2015年7月2日 |
保護中: 在京白堊39会写真6/29懇親会2 | 2015年7月2日 |
保護中: 在京白堊39会写真6/29懇親会1 | 2015年7月4日 |
Hello world! | 2015年6月25日 |
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泰久さんの述懐を読んで、そうだったのかと思いました。大通り1丁目の佐藤円呉服店は記憶にありませんが(子供に用はなかったから)、泰久さんの一族が辿った歴史の片鱗を感じました。商売というのは本当に転変が激しいのでしょう。私の父は安月給のサラリーマン(団体職員)でしたから、私も大学は仕送りなしで出ましたが、大学に行けただけましだったということですね。親に感謝しなくては。 人に歴史あり。そういうことを感慨とともに感ずる歳になりました。
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そうなのかも知れない。「公僕」とか「社畜」という言葉は卑下しているようで好きではない。 「公務員」「会社員」あるいはまとめて「サラリ−マン」でいいではないか。 盛岡の中小商売人のほとんどは中央の大手資本に押されてほとんどが消えていった。例 えば昭和30年ころの大通り一丁目の商店は平成時代には8割から9割が倒産か転居してい る。(添付資料参照) 私の親父は大通り一丁目のド真ん中(現在は「共同印刷」になっている)で呉服店・衣類業 をやり、5人くらい店員を雇い、本当に盛岡一二の商人で盛岡では知らない人がいないと言 われたところまでいった。ところが土地・家屋とも借りたものだったため立ち退き訴訟になり 裁判に負けて大通りを追い出された。そして肴町の端っこに転居したが全然ダメで、あとは 何か所かを転々とし没落していった。私の大学への学費も無く、前に書いたように私は仕送り無 しで苦学をした。 親父ひとりなら、「ああ一度はうまくいって、それから失敗したわけね」で済むかも知れないが、 何でも掲示板に書く私だが、残された母・跡継ぎの兄はもうここに書くに書けない悲惨な死に 方をした。さらに親父の商売の失敗が係累に悲惨な影響をおよぼしている、これも書くに書け ない。 >あなたのお父さんも本当に悲惨な人生だったんでしょうか。 正確に言えば親父というよりは、母・兄・係累が親父の商売のせいで悲惨な死に方をした、それ が悲惨なのかも知れない。おそらく他の商人でも夜逃げ含め悲惨な人生になった人は多いだろ う。 昭和30年ころと平成元年ころの大通り一丁目付近の商店の地図↓(「さわや」書店の包装紙より)。 大通り一丁目にある「佐藤円呉服店」というのが私の親父の店。商店の8〜9割が消えている。 http://yasatou.html.xdomain.jp/004oodouri.htm
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父も義理の父も農水省で大学も同じ。 大学も父の勧めで農学部を選んだ。はっきり言って理学部は偏差値が高すぎ入れない。 生物やりたいなら農学部の方が実践的。でも入学して気がついたのは農業土木。就職するなら土建会社か。 ある意味挫折である。 大学に残る道、公務員になる道、民間の会社に就職する道、 でも、当時公務員はかなり薄給であった。で、公僕になるより社畜を選んだわけだ。親が商売していれば後を継いで自営業の道もあったかもしれないが。 で、後悔する必要は無い。会社に入ってからも農学部出身と言うことで他の社員のやらない仕事もやることができたような気がする。色々な経験で学ぶことも多かった。退職してやって自由の身になったと言う気もする。 だから、書きたいことは山ほどあるんだ。 あなたのお父さんも本当に悲惨な人生だったんでしょうか。 もう、私の両親も妻の方の両親も無くなったけど、色々と感謝の気持ちはあるが、彼らの人生が悲惨だったとは思わない。色々な苦労があったことは知っているが。
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私の親父は呉服商・衣類商、良いときはものすごく良かったけど(盛岡でも一二の商人!)、 転落するのも早かった。悲惨な人生。 私の「反面教師」かな?
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「で、結局会社員て何だったんだ」 何人かの若者に聞いてみれば。そうだよ! 「社畜」のことだ。 卑下する必要は無いけど。公務員だって「公僕」だ。つまり公の奴隷だ。 国会議員だって、代議士、つまり一般市民の代弁者だ。 上司の意見を忠実に聞いていれば、突然コンプライス違反で逮捕されたりマスコミに叩かれて辞任。 つまり、街や田舎で普通の仕事をしている人達が真の自由市民と言うことかも。 一生懸命勉強して、大企業や高級官僚や政治家として活躍して、 さて、退職して見て「俺の人生は何だったのか」 団塊の世代に重く突き付けられている課題でしょうね。
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