梅雨時期の盛岡

さて、此処は何処でしょう。
東京地方も梅雨で鬱陶しい日々が続いたが、此処もやっぱり梅雨空だった。


左手に見える建物は岩手県立中央病院です。

そうなんです。今日も盛岡を少しだけ歩いてみました。
此処は上田の交差点、此処を真っ直ぐに行くと高松の池方面に辿り着けます。

視点を90度左に回転させると、この先に盛岡一高の正門前の通りが有りますね。

更に90度左に回転すると山田線に通じる通りですね。

此処は皆さんご存知の我が盛岡一高の正門前の通りです。

この正門前で撮った写真は何と35年も前の事ですね。
我々は年をとったけれど正門だけは35年前と同じだね。
何時までも残して欲しいな。

年季を感じる「岩手県立盛岡第一高等学校」

左に目をやると岩手大学方面に通ずる細い路。

右に目をやると、上田通りに通ずる細い路。
この先にお風呂やさんがあったな。

正門をくぐると、白亜と言う名にふさわしい白い壁がドーンと姿を現す。

白亜の前には先日建てられたばかりの啄木の歌碑
「盛岡の中学校の露台の欄干に最一度我を依らしめ」が、
みどりの木々の下で一際輝いていた。


歌碑の右側には真っ白な「白亜祈念会館」がある。
何度か一高を訪ねたが、白亜記念会館はいつもこのように閉まったままである。

我々が在学時代の校舎があった正門入り口付近だろうか。
向こうのネット付近に運動部の部室があったな。
汗臭い部室ではあったが、2回の合宿所ではアルバイトの女子大生?が
一生懸命に飯を作ってくれた。

この辺りは硬式野球部が陣取っていた。
流石に甲子園に出ただけの事があり、皆野球に燃えていた。

今でこそ校舎が見えるが、当時は左側にはテニスのコート、
そして右側には俺が所属していたハンドボールのコートがあった。

この場所には体育館があったな、今でも同じだね。
でも当時は一階だけの体育館だったぞ。

この辺は校舎から体育館へと続く廊下があったな。
校舎の裏側に平行に流れる小川があったようだ。

グランドを後にして岩手大学と一高を遮っている道路に出る。

右手方向に行くとNHK放送局があった。

左手方向に行くと本町通りに通じる。

さて、一高の校舎側に振り返ると、
「祝インターハイ テニス 全国高校文祭出場 書道 放送 囲碁 将棋 弁論 」と賑やかだ。
最近は文武両道という言葉は死語に近いのかな。
文と武は完全に分かれようとしている傾向が強いが、
何としても一高には昔のように両道を達成して貰いたいものである。

一高を後にして実家に戻ろうとしたら、ある団体さんに出くわした。
なにやら「盛岡を歩く会」と書いた小さな旗を掲げていた。
みんな歩くのが早い。
年代的には多分俺達より高齢かもしれない。
なんとなく嬉しくなったな。
どんな会なのか訪ねる事は出来なかったが、
俺達もこんな事が出来たら・・・と思ってしまった。
シニアライフを楽しんでいる一例でした。
3日間盛岡に滞在したのですが、天気は曇り空。
今回は岩手山は恥ずかしがっており、姿を現してくれる事が無かった。
だから今回は岩手山の写真は無い。
だけれど今度の土曜日は待ちに待った47東京白亜会。
到着順に生ビールを注いで早速飲めそうなので、楽しみである。
懐かしい盛岡の話やら、年をとったねと言う話に盛り上がるだろう。
いやいやまだまだ53歳は若いですよ。
我々もシニアライフを楽しんでいきましょう。
幹事の皆さんご苦労様です。
当日宜しくお願い致します。
Mannbo-No5

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