映画の日の1日(日)、「その日のまえに」を観ました。
全日・全プログラムが千円で鑑賞できるとあって、7つのスクリーンのある「フォーラム」のチケット売場やロビーには人が多く混みあっていましたが、「その日のまえに」の客席は20人ぐらいとまばらでした。
ポスターも貼っておらず、チラシもなく、地元紙の映画評が出たわけでもなく、どんな人が観に来ているのだろうと、思いつつ・・・。
盛岡では1月31日に封切で、明日(6日)には終了です。それも、1日1回(昼のみ)で、最終日だけはプラス夜の部が1回という上映状況でした。
前の書き込みで、「土曜日のレイトショー」が狙い目というようなことを書いてしまいましたが、それを信じて無駄足を踏んだ方がいなければいいのですが・・・。
映画としては、それなりに面白く観ました。涙がにじむ場面がいくつかありましたが、今一つ感動が伝わってこないという感じでした。
幾つかの幻想シーンや宮沢賢治の登場には、あまり違和感がありませんでしたが、少し引っかかることがありました。
二人の男の子のことです。
とし子が死ぬ間際になって、ようやく健太が子供たちに不治の病であることを伝えて、「お母さんに、よく頑張ったね、と言ってくれ」という場面から、次の日の死へと展開しましたが、なぜ、その前に母親の見舞いに連れて行かなかったのか?
原作がそうなっているのか、脚色なのか、よくわかりませんが、「その日のまえに」は、健太ととし子の二人だけのもので、子供たちにはその心の準備をさせないまま母親の死を迎えさせるという設定には、おかしいのではと思いました。
そこまで突き詰めないで、ただの映画として観ればいいのかもしれませんが――。
とにかく、東京国際映画祭に出品したそうですので、朗報を期します。
この鑑賞記がかなり言い当てていると感じました。重松さんの複数のエピソードを混ぜてしまったんですね。
これでは感動を呼びません。