明日、啄木生誕120年

「一晩に咲かせてみむと
 梅の鉢を焙(あぶ)りしが
 咲かざりしかな」           啄木


17日の読売新聞朝刊の「編集手帳」に、上記の歌を入れて、
啄木についての記事が載っていた。それによると、
21歳の春、一家離散の憂き目に遭った時の啄木の日誌に、
「啄木、渋民村大字13地割24番地に留まること1ヵ年2ヶ月なりき、と後の史家はかくならむ」と。
生計の窮迫により、啄木は職を求めて北海道へ、
盛岡に移り住み、母親は他家へ身を寄せたとのこと。
若くして一家の大黒柱となり、想像もできないような苦労があったことだろう。
百年余りの時を超えて、感動を与え続けられる啄木の歌の生命力には、
あらためて驚きを禁じえない。

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明日、啄木生誕120年 への1件のコメント

  1. suimei のコメント:

    「(啄木の)妻子が盛岡市に移り住み」でした。

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