お花見と懇親会の物語

この物語の登場人物AからHまでは、個性豊かなメンバーでした。
全てアドリブだが、各自自分の役をきっちりとこなし、楽しい物語に仕上がりました。
登場人物からイニシャルを一文字だけ拝借すると
今回はタケシ2(TAKESHI2) となります。
適当に参加メンバーを想像して物語を読んでください。
では「お花見と懇親会の物語」の始まり~始まり~。
Mannbo-No5

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お花見と懇親会の物語 への3件のフィードバック

  1. sakura のコメント:

    見事な桜でした。
    不来城の桜と重なりました。

  2. fujikun のコメント:

    不来方
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    不来方(こずかた)とは、岩手県盛岡を指す言葉である。 元禄期、南部藩主・南部重信公と永福寺・第四十二世清珊法印との連歌によって生まれ、城下町の名として用いられるまで、当地はこの名で呼ばれたと伝えられる。従って、城下町開府当時、都市名として盛岡という名は存在しなかった。 命名には、盛岡城下の鬼門封じのため置かれた真言密教の祈祷所「永福寺」所在地の裏山が「森ヶ岡」と呼ばれたことに関わると見られる。永福寺の山号は、宝珠盛岡山である。
    不来方から盛岡への改名は、時の南部藩主がこの名を不吉と忌み嫌ったためと伝えられるが、現代ではむしろ、盛岡の雅名として使われることが多い。 現在の盛岡市中心部は「岩手郡仁王郷不来方」に相当する。その名は南北朝期には既に古文書に記されている。「陸奥話紀」の記載では、清原武則の甥・橘頼為が領主となっていたのが「逆志方」。 南部氏は蒲生氏郷の勧めでこの地への築城を決めたという。
    一般に、南部氏が築いた盛岡城の別名が「不来方城」と解されているが、厳密には両者は別の城である。南部氏家臣の福士氏が築いたのが「不来方城」であり、これを基礎に拡大して南部氏が築いたものが、「盛岡城」である。
    伝承によれば、かつてこの地を鬼が里を荒らしまわることに困った里人たちが、三ツ石(盛岡市)の神に祈願をしたところ、鬼は神によって捕らえられた。この時、鬼が二度とこの地にこない証として鬼の手形を岩に残した。これが岩手の地名の由来であり、二度と来ないの意味で「不来方」の名が付されたと伝える。 このとき奉納した踊りが、盛岡市の「さんさ踊り」だとされ、現代にも盛岡の夏の風物詩として受け継がれている。

  3. sakura のコメント:

    「不来方城」、あわてて、「方」を忘れてしまいました。
    由来を読んで、何も知らなかったことに、また吃驚しました。
    今日は啄木忌。実は、お堀に雲のごと絢爛と咲き誇る桜の写真を見ながら、
    次の歌が頭をよぎったのです。
    不来方のお城の草に寝ころびて
    空に吸はれし
    十五の心

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